ユー・ニード・コンフィデンス

Because I want to improve my business. などと言ってみたものの、英語を学ぼうと思ったのは、迷子の観光客に、話しかけることができなかったからだ。

コンビニを出たところで、「wrong direction」というつぶやきが聞こえた。声の主は、海外の人だった。

私が歩いていたのは、有名な観光地の近くで、観光地の真反対、住宅地を奥へと向かう外国からのお客さんは、なかなかに目立っていた。

もし、その人が私に道を尋ねてくれたら、指差し付きでオーバーゼア、くらいは答えられたかもしれない。しかし、その人はスマートフォンの地図をぐるぐる回していただけだったので、私は彼の横を緊張しつつ通り過ぎた。

通り過ぎながら、少なからず自分にがっかりしていた。私は、困っている人に声をかける、ちょっとした勇気もない人間だったなんて!

実のところ、彼が困っていたように、私もサイレントで困っていたわけなのだが(声をかけた方がいいかな、どう話しかければいい? 道を聞かれたら何て答えるのが正解? うーん、分からないどうしよう)、解決できなかった困りごとは、自尊心をひどく傷つけた。

私に、エクスキューズミーひとつ分の勇気があったなら。損なわれた自尊心を回復するため、解決策としてのオンライン英会話を試みたのだ。

とはいえ、雑談するためだけに受講料を支払うのはもったいない。ビジネスにも使える英会話クラスを受講するのに、「迷っている人に話しかけることができなくて……」という理由はなんだか恥ずかしく、そぐわない気がした。

仕事が、商品がなどと一生懸命喋っていると、笑顔が素敵な先生が、oh, you need confidence. と言った。わーお、と思った。

ユー・ニード・コンフィデンス。あなたには自信が必要なのね。そう、私が欲しているのは、英語力ではなく自信だったのだ! マーケティングのお手本のような分析である。

プログラムを選び、技能──ここでは英語のこと、を身につける。何かをやり遂げた経験は、達成感とともに自信を育み、自尊心を守るのだ。

少しのきっかけを作り出すための自信。そのために月額いくらの費用を投じる、高くつく自尊心だと思う。

夕方、たまたま目にしたCMでは、Google pixelがクールな即時翻訳機能を披露していた。スマホを介せば、私たちは世界中の人と会話ができる。

テクノロジーの発達により、そのうち外国語を勉強する必要のない時代になる。何年も前から言われ続けていたことだ。気付かない間に、今日は「そのうち」を追い越してしまっていた。

もう少し先の「そのうち」、テクノロジーが問題をすべて解決してしまったら、技能の習得が必要ない世界で、小さな自尊心はどう守られていくんだろうか。

今日の私には、解決に自力が必要な困りごとが、まだ残されている。もしかすると、自尊心にとっては最後のボーナスタイムなのかもしれない。いや、ただの努力信奉かも。

10分の1世界

機内誌で、浅田次郎さんのエッセイを読んだ。コロナ禍とは、コールハーンを一足39ドルで買える世界のことだったのかと思う。

しかし、安い。デパートで普通に買うと、10倍以上の価格になるはず。流通過程で乗っかるマージンのえげつなさについて考え、でも上乗せ分でキラキラした接客をしてくれるのだから、それはそれで喜ばしいのか。

飛行機を降りると、呼吸が軽くて驚いた。夏だ。

雨でないのなら、と傘を置いて出かけたら、そういえば私の傘は雨晴兼用だった。空模様は晴天。まっすぐ降りかかる夏の日差しは、肌に痛い。

「つらお…」などと呟いたものの、つらおはビフォーコロナ時代の言葉な気がした。

傘を持ちたくないのは身軽さが恋しいから、でも傘を持つのは保険のためで、保険とは辛い時期をラクにしてくれるものだったな、と思い出す。

半袖の形に、腕は赤く日焼けをした。久しぶりの日焼けな気がする。

赤くなった腕で吊り革を掴む。

電車のサイネージに登場するのは、初めて見る顔ばかり。少しずつ旅を思い出しながら、いま何が流行りなのかを全く知らない、浦島太郎みたいな移動をしている。

私はお前をつれてゆくよ

国境が開き始めている。

飛行機に乗る罪悪感が一気に弱くなった。

長距離を移動することに、罪人のようにビクビクしなくても良いのだ。

予定の合間を縫っては、空の旅を少しずつ再開している。航空券は、ハイシーズンに向けて値上がりの傾向。盛夏は混むし高いけど、6月の飛行機はちょうどいい。

コロナ禍で、ものを手放しすぎたきらいがある。少なさは、身軽さだ。どこへ出かけるにも小さな肩掛けカバン1つで、手というものは塞いではいけないのだと思った。

ここへきて飛行機である。

さすがに3泊4日を、小さなカバンひとつでは過ごせない。しかし、手を塞ぐ荷物は持ちたくない。安心用の折り畳み傘だって、手に握っていたくはないのだ。

愛用していたキャリーバッグを引っ張り出し、掃除をする。放置しすぎたために、持ち手の部分はなんと加水分解でベタベタしていた。その他、良好。思えばこの人といろんな所へ行った。

空っぽのカバンを、コロコロ転がしてみる。2輪のキャスターはスムーズに地面を走る。少しベタついた取っ手を握る、右手。

このカバンがとても優秀なことを、私は知っている。このカバンにたくさんの良いものを詰め込めることだって知っている。

しかし、少し、重い。

正確には、「今の気分には」重い。

悩みに悩んで、キャリーバッグに2泊3日分の荷物を詰めた。手ぶらで行っても、どうせ現地で服を買うのだ。飛行機に乗るたび、間に合わせの服を増やすのも違う気がする。

2泊3日のカバンはスカスカだ。服も、詰めるお土産も、そんなにない。

「ビフォー」と比べたら明らかに軽いけれど、スタスタ歩くにはまだ少し重い。

アフターとぼんやり混ざり始めたウィズの時代、旅もまだ調整中であるわけで、繰り返しによりもっと最適に近い答えが見つかるわけで、きっとそれなりの、落ち着く形の旅が生まれていくのだと思う。

使うものもスケジュールも、行く場所、会う人、全部少しずつ調整しつつ。調整が終わったとき、身軽な両手は何を持っているのでしょうね。

優秀なキャリーバッグ、移動の象徴であったもの。ひとまず今日、私はお前を連れてゆくよ。

暑いくらいだと思う。毛布に包まる

羽毛ぶとんを出した。ポカポカして暑いくらいで、びっくりしている。羽毛ぶとんは暖かい。

年が明けてまた戦々恐々とする暮らしが始まったが、第6波が引いていく気配が全くない。

このまま高め安定で2022年が進んでいくんだろうか。う〜ん。

今年は行きたい場所もやりたいこともたくさんあるので、少しずつ外に出て行くつもりだったんだけれども。

不満や不安を環境に訴えても仕方がないので、暖かい布団で静かに寝る。

寝転がりながら、半袖短パンで心なしか汗をかいている。羽根の力って、すごい。

あまり自分を損わないこと、空が青かったこと

自分との約束を守れると、QOLが上がる。真理だ。久しぶりの友人にお便りを送るのもQOLの向上に良い。

やるべきことに押しつぶされそうになることがある。キャパシティを測り間違えたのだと思う。見極めを間違えると、心が怪我をする。自分の無力感や、無能さに打ちひしがれてつらい。

そういったことがあまり起きないよう自分に甘くフワッと過ごしたいのだけれど、やりたい事はたくさんあるし、生活のためやるべきこともたくさんあるし、今日もご飯を食べ歯を磨き、しっかり眠らないといけない。

人生は無限大の希望であふれているが、遊べる時間は、実はあんまり多くない。詰め込みすぎて、あまり自分を損なわないこと。キャパシティを正しく把握し時間を捻出すること。

うまくいかないこともあるけど、見上げた空が青い。今日は曇りだって、雲の上は青い。

とにかく、自分をあまり損なわず生きていきたい。上げようQOL、できるだけ小さな約束を、ちゃんと守ろう。

日曜日みたいな生活と、休日の朝の労働

日曜朝の駅は静かだ。道玄坂だって日曜日の朝は静かなので、いはんや田舎の駅をや、である。

毎日これくらい静かに過ごしたいと思う。人にペースを乱されない、人にスペースを奪われない、心なしか空気もきれい。

裏時間が好きなのだと思う。世界が働いているときに私はゆったり過ごしたいし、眠っている世界のがらんとした駅でスキップをしたい。

夜は早めに電気を消して朝焼けのなか自転車を走らせる(新聞配達みたいだ)、今年はなるべくそういったリズムで生活できるよう、スケジュールを整えたい。

飛行機のチケットを取ったら第6波が到来してしまったので、自分の見通しの甘さに歯ぎしりしている。

落ち着いたように見えていても、感染るようなことをしたら、感染るんだなあ。

長生きをしたいと思う、ストレッチポールに乗る

肩が痛む。

原因は分かっている。液タブを使ったせいだ。商品画像を編集するために、立てた液タブにかじりついたせい。

液タブ作業は難しい。

画面を寝かせすぎると首を痛めるし、画面を起こしすぎると肩が死ぬ。痛い。

久しぶりにPhotoshopを使ったので、ショートカットをまる忘れしていたのもまずかった。キーボードがバグを起こしてMac配列が使えないのは、死刑宣告に似ていた。辛かった。

長生きをしたいと思う。

健康な長生きだ。四肢は痛みなく動き、内臓は順調に稼働してくれる、そういった老人になりたい。

だから、夜更かしはせず体にいいものを食べる。たくさん歩いて、疲れた夜はストレッチポールに寝転がる。

2021年に買ってよかったものは、ストレッチポールだったと思う。あとバランスボール。

バランスボールで、腰の痛みが劇的に減った。ストレッチポールは、肋骨の歪みを減らしてくれた気がする。

姿勢が悪いのかなんなのか、しばらく座り作業をすると、あばら骨が歪む感覚がある。くしゃみをすると胸がポキッと鳴る。終末である。

不安を感じてストレッチをしてみるけど、いまいち続かず自己嫌悪ばかり積もっていく。これじゃあ、心も体も不健康になるばかりよ、ということで、ストレッチポールを買った。

しばらく座り仕事をしたら、ストレッチポールに寝転がる。胸が開く感じがする。

背中が痛くなったら、ストレッチポールで背中を圧す。背骨の並びが揃う感じがする。

どれも、きちんと公式のトレーナーさんが勧めていた方法なので安心して試せる。自己流ストレッチでケガをする人は、多いと聞く。

10,000円近いアイテムなので、決して気軽な買い物ではないけど、体が資本だから必要なところにはちゃんとお金をかけたい。

試してみて、合うものは採用して、合わなければ辞めればいいし、やった方がいいことは、続ける方法を考えたい。

健康にはチョモランマ級に意識を高くしながら、長生きをしたいと思う。今日もストレッチポールに寝る。明日は22時に眠ること。

「朝のふきげん」を直す

朝の私は、人に優しくできない。

朝、何かにつけて他人にイラッとしてしまうのは、寝起きの体調のせいかしらと思う。

大抵の場合、昼ごろには心が2回りほど広くなり、朝の行いを反省している。

反省にはカロリーを使う。自己肯定感が下がり、心がすり減る。

起床してからの経過時間なのか、人に会った回数か、不思議と昼には心が広くなっている。そして、「ヤダ、私の態度、ひどすぎ……?」と思うのだ。

人に会う時は、いつも昼のテンションで過ごしたい。

朝の不機嫌タイムを周りにぶつけてしまわないよう、今年は朝早く起きることを習慣にしてみようかと思う。新年だし。

手始めに、まずは早寝早起き。

満たすべきではなかったと思う、年が明ける

腹を満たす、舌を肥やす、目を養う。
自己研鑽や成長は「よいもの」とされがちだけれど、一度満ちると、不足が気になるようになってしまう。

満たされていない状態は、つらい。
美味しくない食事やつたないあれこれを摂取するのは、つらい。

完璧な正方形だけが美しいわけではなく、欠けやゆがみが当たり前にあるのが当たり前なのだと思う。正解は一つではない、完全は唯一の価値じゃない。思っているのに、許容できない。

心のこもった料理が美味しくなかった。もらったプレゼントがダサかった。そんなことは考えたくなかったと思う。

満たされる経験を重ねるたび、基準値が上がり許容範囲は狭くなる。もしかすると自分を満たすべきではないのかもしれないし、成長と称して世界を広げるのは「幸せ」ではないのかもしれない。

研鑽と称して「よいもの」を知るたびに、不足ばかりが目についてしまう。

整えられた完成形を、正しいものを、レベルの高さを。

そんなことは考えたくなかった。
来年はもう少し、つたなさを含めた物事を愛せるようになりたいと思う。年が明ける。

仕事が要る。そしてご飯を食べねばならない。

その土地に住むためには、その土地の仕事が要る。リモートワークもいいけど、生身の人間と雑談できる環境を作るには、その土地で仕事をするのが手っ取り早いと思う。コスパの問題が解決できるなら、店員さんと顧客の関係でもいい。

他人と接触する必要があるシチュエーションを作る。接触は、日常的に反復でき継続性があること。先述のとおりお店でもいいんだけど、仕事がいちばん効率的だと思う。続けるとご飯が食べられるし。

観光地の悪いところは、「観光地価格」と「地元価格」が分かれてしまっていることだ。サービスの利用は、教育に似ている。それも無意識の、刷り込みに近い教育だ。

私たちはサービスを利用し、お金を払う代わりに価値の提供を受ける。観光地価格の商品のユーザーでない地元の人は、観光地価格のサービスを知らない。知らないものは提供できない。

土地固有の観光資源を潤沢に使ったサービス。提供側にも享受側にも回れない地元の人は、いったいどこに行けばいいんだろう? サービスに触れる環境を整えることも、教育だと思う。

みたいなことを考えて、しかし私にも知らないことがたくさんあるぞと思う。仕事が要る、作り方は知らないけど。大人なので、セルフ教育が必要なのだと思う。