「博物館や美術館に行ったら、必ず音声ガイドを借りるんです」と、大学時代の教授が言った。4年間で学んだ内容のうち、最もその後の行動に影響を与えたことのひとつだと思う。
「人々心々の花」という、世阿弥の言葉がある。見る人の心にそれぞれの花がある、というニュアンスの言葉だ。感じ方は人それぞれ、同じものを見たとして、誰もが同じような感想を持つわけではない。
物事と向きあう時、例えばその「物」が、選び抜かれた逸品であればあるほど、私の世界は浅い。素晴らしい物に心を震わせる感性と、なぜそれが素晴らしいのかを理解するための知識は、両輪でなければつまらないと思う。
人は自分の目でしか世界を見ることができず、知らないことは想像すらできない。何にも知らないままでは、きれいな物を並べられても「きれいだね」で終わってしまう。しかしながら、花の美しさにも色々あるのだ。
世界をいかに豊かなものと捉えられるかは、世界と向き合う人の目にかかっている。博物館や美術館、逸品ばかりが並ぶ場所で、私の視界の浅さを補うのが、ガイドなのだと思う。
京都には、解説が必要な逸品が山ほどある。ガラス越しに見る作品の、額縁の外側に続く背景に思いをはせることができるのは、他人の知識を分けてもらったから、なのだよなあ。
卒業してから、教授とは疎遠になってしまったが、音声ガイドを手に取るたび思う。世界には知らないことがたくさんあり、知らない感動もたくさんある。知らない扉を開けるために、人の力はいくらでも借りたい。兼好法師も、わざわざ書き残すわけだ。
明日からは雨。雨なりの予定を立てて、オンライン英会話の残念な成績で泣きそうになり、切ないご飯を食べた一日の終わり。