仕事が要る、地面に足をつける

田舎に行ってきた。

その町が田舎だとは思っていなかったのに、行ってみたら田舎になっていた。びっくりした。

この道はこんなに狭かっただろうか、この林はこんなに荒れていただろうか。訪れたのが冬で、どんより曇っていたのがまた悪かった。

まるで時代の風に吹き残されてしまったような、昭和や平成をこびりつかせた建物が、古ぼけて残っていた。町並みを眺めては、もの悲しくなる。住んでいる人からしたら、余計なお世話だろうが。

この町で、私はこんなに寂しかっただろうか。

さびれた街並みのなか、高級なホテルと市役所だけが新しかった。ピカピカのターミナルで次の便を待ちながら、この町には仕事が必要なんじゃないかと思う。仕事、人の流れ、経済だ。

それこそ大きなお世話か。この町で暮らすなら、きちんと自分で動かせる仕事が必要だと思う。私が暮らすなら。

寂れた町がこんなにも悲しいのは、私がここで暮らしたいと思っていたからだった。

とりとめもなく仕事について考えてみるけど、そもそも、寂れていく町に暮らしたいのはなぜだろう。

何もかもが不必要な、大きなお世話で余計な行動なんじゃないかと思う。でも多分、生きるって必要ないことの集合だ、きっと。

時間が溶ける、バーチャルな友達とつながる

友人に「今度そっちに行くよ」と言うと、「何年ぶりかな?」と聞かれる。

数えてみると、丸2年ぶりだった。

よく遊んでいる気がしていたけど、あの思い出やあの会話は、すべてネット上の出来事だった。びっくりした。

飛行機に乗ればすぐにだって会える。アプリを開けば、いつでも話せる。近い気がしていたけど、2人してとても遠い所にいた。

それでも2年もの間、まめにコミュニケーションが続いたことに驚いている。「私たちバーチャルな関係だったのね」と言い、二人して笑った。

バーチャルでも友達でいられる。リアルで顔を合わせたとして、別に手を繋ぐことも一緒に寝ることもなく、彼女とは、画面越しのと全然変わらない会話をするのだと思う。

友人に会えるのは嬉しい。会うことの意味って何なんだろう。物理的な距離が近づいたとして、交わす情報に劇的な変化はない気がしている。

今日は久しぶりにペンタブレットを起動する。気付いたらこんな時間になっており、1日が短すぎて、焦る。

寒くて震えている、髪を伸ばそうと思う

家の外で仕事をすることが増えてしまった。

しばらく移動することはないと思っていたので、ノートパソコン含め、お出かけグッズを手放してしまった後だというのに。自分のやりたいことなので致し方なく、再び環境を整えることにする。

「スマホがあれば仕事ができる」ってホリエモンが言ってたけど、スマホのみで一泊二日を過ごすのは厳しかったので、まずはノートPCを購入したい。

あと、かばん。

1 1泊分の着替えが入ること

2 一眼レフのカメラとレンズが1本入ること

3 三脚(折りたたんで40センチ位)が入ること

4 B5サイズのノートが入ること

5 フェイスタオルが1枚入ること

6 ノートPCかタブレットが入ること

7 外付けのマウスとキーボードが入ること

を、満たすかばん。

肩が軽い生活にすっかり慣れてしまい、本当はタブレットやノートPCは持ち歩きたくない。1キロ未満の、薄くて軽いPCを探そうと思う。そしてキーボード類は有線がいい。少し嵩張るし格好悪いけど。無線はまだちょっと遅いことが分かったのが、おうち時間の収穫だった。

というわけで、ずっと気になっていたミレストのかばんを巡回している。
カメラまで詰めてしまうには、ちょっと小さいかなあ。

ステイホームからずっと髪を短くしていたのだけど、再び外に出るようになって、冬が寒いことを思い出した。

来年は髪を伸ばそうと思う。暖かく、軽く、また色々な所に行けたらいい。とても浮ついている。

生き返る、山について考える

忙しかった。やっと一息つけた感じがする。生き返った。

ここのところずっと山について考えていて、「木を育てたい、山を手入れしたい」という気持ちが脳内を駆け回っている。

山が欲しい、木を育てたい

木は勝手に育っていくので、私が手をかける必要はないんだけど、手をかけたいと思う。
なんだろう、エゴかね。

とはいえそもそも、地元の植生も木の種類も全然知らないので、郷土の資料を探し歩くなどす。

忙しいのも楽しいけど、知りたいこと調べるのもとても楽しい。生き返っている。

期待値も下げていきたいと思う、ゆっくり寝る

塩せっけんなるものをいただく。塩、石けんにまで混ぜてきたか! と思う。

無添加で、石けん素地と塩を絶妙なバランスで配合することにより完璧な泡を作り出せるようになったらしい、ぴかぴかの石けん。

ボディーソープが切れたので、さっそくお風呂場に持っていく。使い心地は何というか、硬かった。

泡立てネットで一生懸命泡立てるけどどうしても泡がへちょっとして、もっちりモコモコになってくれない。

何も入れないと、石けんの泡ってこうなるんだな、ということを学び、同時に普段のもっちり泡には我々すごく甘やかされているんだと思った。

化学薬品を使っていません! と言われると心強い気がするけど、もっちり泡だってすごく気持ちいい。

無添加とちょうどいい添加物、どちらが肌に正しいのかを、実のところよく分かっていない。自分のことをちゃんと知るのは、案外難しいことだと思う。

ゆるい泡を少しなめてみたら、そう言われてみればそうかな…くらいのほんのり塩味がした、気がした。

今日はヤマトの配達を楽しみに待った1日で、日中ソワソワしていたら時間がえらくゆっくり過ぎた。

配達時間を指定すると、どうしたって「時間に間に合ってないじゃない! 配達が遅い! ムキー!」みたいな心理に陥ってしまうことがある。

未熟者め、もっと心にゆとりを持てよと自分でも思うけど、「いま向かってます!」と言われたら期待してしまうのが小さな人間というもので、期待しないでいることはとても難しい。

本当は、宅配便の配達予定なんかは見ないようにするのが正しくて、荷物は忘れたころにポンと届いて予想外なハッピーを浴びるくらいが、心身穏やかでいられるコツなのかもしれないと思う。

人が何してるかを知らなければ、期待しなくて済むもんな。でもそれはそれで不健全な気もする。「君のこと考えたくないから、君については知りたくない」? うーん。

そんなことを考えながらヤマトさんから荷物を受け取り、いい感じの布を譲ってもらったので針仕事のお願いをして、今日はゆっくり眠れそうな土曜日の夜。

いい週末です。

セミが鳴く、ユニクロのニットを買う

朝晩すっかり冷えるようになったのに、田舎の山ではまだセミが鳴いています。びっくりします。

小さな散財をしました。

作ったものをちょっとの間置いておく棚か作業台が欲しいと、ずっと思っていました。

欲しい、でも別に1万円出すほどの欲しさではない。だからといって、量販店で売られている、7,000円のテーブルを買う気分にもなれない。

状態の良い中古の品が、5,000円くらいで手に入らないだろうか。

そんなことを考えながら過ごしていました。リサイクルショップを巡ってみても、これだと思うものは見つかりません。

というのが先週までのことで、今週、ジモティでいい机を見つけました。そんなこんなで譲っていただき、私の作業部屋は今とても快適です。

お値段、1,000円なり。金具に少し不具合があったので自力で直して、でも金具以外はほぼ新品です。アメージングなことです。

それから、冬になるので新しいニットを買いました。秋の終わりの小さな散財、ふたつ。

もう、寒くなっても大丈夫です。

酒が飲める、閾値は下げていきたいと思う

「酒が飲める」歌がある。すごく幸せそうな歌だよねと車を運転する人が言っており、助手席の私はまったくその通りだと思った。

これだけハッピーな気持ちで毎日を過ごせたら、幸せに違いない。でもハッピーさの源がお酒じゃなかったらもっといいのにね、という話をした。

「キーアイテムがお酒じゃなかったら、こんなにヒットする歌にはならなかったのでは?」と言われ、確かにと思う。

お酒は楽しいし、気持ちいいもんな。

理性のタガがぽろっと外れる感じ、いらない表層が剥がれて、繊細に感情が動くようになる、あの感じ。

敏感に気付ける状態を、「閾値が低い」と呼んでいる。少しの刺激で、スイッチをONにできる状態。

お酒がなくとも、変化や揺らぎには敏感になれたらいいと思う。

少しのしょっぱさに塩を理解でき、日差しの揺らぎに秋を気付くことのできる、そういった閾値を持っていられたらいいなと。

とんこつラーメンや九州しょうゆには魔性の味わいがあるけど、澄ませただし汁だって美味しい。陽気な酒の歌を口ずさみながら、合間合間にそういった閾値の話をした。

なんで急に閾値が出てきたのかと思ったら、人がポロポロ死んでいく話を、立て続けに読んでしまったからかもしれない。

命を懸けた情熱も良いものだけど、日々は平坦に続いていくので、できるだけその中に潤いを見つけていきたいものです。閾値は気持ち、下げめに。

つま先を丸める、冬が来るなあと思う

靴下を脱ぐ開放感がとても好きなのだけど、フローリングが少しずつ素足に厳しくなっている。

保温ポットを出し、無印良品のルームブーツをネットで調べた。そろそろ無印良品週間が始まってもいい頃だと思う。10月末だし、などと考えながら、もう10月が終わろうとしていることにびっくりした。

夏からちまちま作っていたものがじき完成するので、年内にはお店に並べたいと思う。季節をまたいでものを作る、とても贅沢な時間のかけ方をした。

しっかり作った分、しっかり売れてくれるといいのだけど。

ひと仕事終え、椅子に座ったまま靴下を脱ぐ。開放感の代わりにやってきたのは夜の冷気で、思わず裸のつま先を縮こめた。

夏が去り秋になり、冬が来る。残りの今年はあまり駆け抜けないで、足場を確かめながら歩くみたいに過ごせたらいいなと思う。

勢いで作った紙ものがとても可愛かったので、もうちょっと改良してから土曜日を迎えること。

床を掃く、冬の準備をはじめる

仕事場用にモップを買った。

ダイソンの強い掃除機が壊れたタイミングで、吹き出す風で机の上のものが飛ばされるのに困っていたんだった、と思い出したので、風を生まないモップを買ってみた。

エコである。

気づけば増えがちなマイクロファイバーの雑巾が、また一枚増えた。雑巾を装着しとりあえず水拭きをしたら、引くくらいほこりが取れたのでさすが文明の利器だわと思う。

激落ちくんのモップ。

モップ一つ選ぶのにも種類がありすぎて、レビューを徘徊しお値段と機能と品質のあいだをさ迷い、ダスキンのレンタルまで検討するなどの紆余曲折をへて迎えた一品。

クイックルや無印良品のワイパーは、嫌いじゃないけどシートが挟みにくい。それから毎日使い捨てのシートを消費するのも、なんだかエコではない。

「ダスキンのレンタルモップは優秀だ」と母が絶賛していたけれど、いつも裸足だしときどき床に寝転がったりするので、薬品モップを使うのには抵抗があった。

月々の事務手続きが増えるのも、シンプルではないなと思ったから、でもそんなに掃除がしやすいならいつか使ってみたい願望はあります、ダスキンのモップ。

こう、パチンと雑巾をはさみ床をなでるとほこりがよく取れる激落ちくんのモップ。床にぴたりと密着するので、「拭く」ではなく「なでる」感じがしっくりくる。

雑巾を洗うのが面倒くさいではある、でも素足で歩く床がサラサラ気持ちいいので、しばらく使い続けられそうです。よかった。

ピアノを弾く、頑張って鼻歌を歌う

作りたいBGMがあったので、キーボードを引っ張り出した。

しばらく格闘したらそれなりに曲っぽいものができ、「私は天才かもしれない」と録音したものの客観的に聞いたら天才ではないことが分かった。そりゃそうだよなと正気に戻った。

作りたいものは作りたいので、果敢にも人の手を借りることにする。こんなの作りたいんだよねって説明するための音源を作りながら、マイクに鼻歌を吹き込みながら、穴に潜りたい恥ずかしさで胸がいっぱいになった。

一人で楽しむ分にはいくらでも天才になれるのに、人目があるとき、自分の一生懸命さや必死さはどうしたって恥ずかしい。理性では「必死だっていいじゃない」と思うが、年月をかけ、自ら育ててしまった性格なのでどうしようもない。自分のことはいつだって恥ずかしい。

お風呂場の鼻歌が気持ちいいのと同じように、あんまり突き詰めず、主観だけで作ったものをふわっと楽しむだけにしておけば、気楽なのにと思う。たまに、こうやって人にも聞いてもらいたい欲求が生まれたときのジレンマが始末に負えない。

鼻歌を歌う。口ずさむたび自意識がチクチク刺激され、穴に潜りたい気持ちになる。天才ではないのでそう頑張らなくてもいいんだけど、必死だっていいんだけど、人に見せるのは恥ずかしいんだけど、でも一緒に楽しめたら嬉しいはずだから。

あれこれ考えながら鼻歌を歌う。我ながら思考回路が面倒くさい。しかし歌い続ければ自意識はどこかに消えることも、私はすでに学習しているのだった。少しだけ頑張って鼻歌を歌う。頑張ってくれよなと思う。