何かを頑張ろうと思ったとき、信じられる実績がないので足場がお豆腐のよう、という話。
実績というか、必要なだけの成功体験というか、自信の源になる要素の手持ちがない。いつも、ギリギリのやっつけで乗り越えてきた行いの副作用と思われる。
雑談のなかで、「何もかも積み上げだよ」という話題が出た。健康、キャリア、売上げ、人付き合い、信頼。
だから昨日は「積み上げた〜」などと大層なタイトルをつけたのだけど、別段何も積み上げない日記を書いてしまった。ピアスはかわいいので、月内にお店に並べたい。
日記で、何かを積み上げていくとはどういうことだろう。今日は8,000歩歩きました! とか、そういった記録のことだろうか。撮影した動画の処理をしたよ。公開できるのが楽しみ! といったタスクの積み上げの記録のことかもしれない。達成感と満足のなか、積み上げを続けること。
ガチガチに張り切ってはリバウンドする、そして何もかもを爆破する、振り出しに戻る……みたいな数年周期のサイクルがある。
いい加減、爆発するのはしんどいので、楽しめる範囲で、頑張らない(でも生き残れる)環境や行動を探せたら良いのにと思う。
続けなければ始まらないから、自分で足場を作っていくのだ。ペラペラの紙も、500枚重ねれば鈍器になるもんなあ。
頑張りが過ぎると爆発するけど、積み上げは必要だから、適切な見積もりと逆算、そして準備について考えること。チャレンジは、挑戦の数だけ爆発しても生き残れる環境を作るのと、必ず両輪で。
爆発するのがとても怖いのは、たぶん、気力の底や実力の無さ、自尊心が損なわれる感覚を知ってしまったからだ。これが、歳を取るということかもしれない。
毎日、気温30度越えのなか、汗をだらだら垂らしながら歩いている。歩きながら瞬間英作文をすると、人生が充実しているような感覚がある。
この調子でいけば、3年後にはたいへん流暢な英語が話せるようになっているに違いない。妄想は希望だ。翻訳コンニャクには、遅れをとらないようにしたい。
それにしても暑く、500mlのペットボトルが秒でなくなる。飲んだのと同じだけ汗をかき、モノレールで凍え、帰宅してシャワーで汗を流す。新陳代謝がすごい。生きている感じがする。