リピート、リピート、リピート

メールを打つのが遅い。気づけば30分経っていた! といったことがざらにあり、なお悪いことに、枝葉は異なれどメールの内容はほぼほぼ同じ=繰り返し、同じところで日々足踏みをしている。

足踏みしている暇はないんだ、ということでテンプレ入力ツールを探したところ、ネットの集合知に、PhraseExpressというアプリが便利だよ、と教えてもらった。

さっそく使い始めたところ、文章のテンプレ化はなるほど便利だ。30分かけていた文章がキータッチ3回でほぼ仕上がる。あの時間はなんだったのか、という悔しさや悲しみに似た感情が湧き上がってきたので、「まぁ落ち着いて」と心に蓋をした。

以前、仕事をご一緒した人に、「メールは長文でガッと送るより、都度都度キャッチボールをした方が相手とのすり合わせがしやすいよ」と習ったことがある。確かに、テンプレだけで解決できる物事はそう多くないから枝葉のアレンジが必要になるのだ。

同時に、触れ合った回数分、我々は他者に親しみを感じるのだろうなと思う。挨拶をする、お礼を言う、ちょっとした質問に快く答える・答えてもらう。そうやって築かれる関係性が間違いなくあり、仲良くなることは無上のメリットに違いないのだけれど、繰り返しによる疲弊だって存在している。

繰り返し繰り返し、毎日の挨拶に30分かけていたのが「おはよう」の一言になったと考えると、それはそれでハッピーなのかもしれない。

軽やかに積み重ねていくこと、軽やかに繰り返せること。メールの省力化によって、今後、私の周りの総親しみ値のようなものが底上げされると嬉しい。

アイキャッチは、工房でつくった拭き漆のお箸。

ハズレくじを引かない

二〇二四年一月の下書きに残っていた日記

普段行かない道の駅で、手作りのお菓子を買った。あまり美味しくなかった。口直しに魚の天ぷらを買った。またもや、あまり美味しくなかった。泣きっ面に何とかである。酸化した揚げ油が口の中にこびりつき、いっそ悲しい気持ちになった。

これでダメなら諦めるしか、という心境でコンビニへ行く。祈りながら、ローカルで有名な天ぷら屋さんの天ぷら(ホットスナック)を買った。安定の味がした。期待を裏切らない品質にほっとする反面、新年早々ハズレを引いてしまった不運に落胆する。こんなはずではなかったのに。

お菓子に対する、期待値が高すぎたのだと思う。または、普段口にしている「おやつ」が、個人で作れる美味しさのレベルを軽々超えてしまっている。製品の企画であったり、風味や素材の研究であったり、競合他社との熾烈な争いを勝ち抜くための過程で磨かれた品質が、私の味覚を知らず底上げしてしまった。コンビニに100円ちょっとで並べられる、お手頃な味覚だとは思うが。

ブランディングとは期待値コントロールである、というnoteをいつぞや読んだ。少し前のことだと思っていたら、2019年の記事だった。期待の先に購入があり、購入の先には発信の循環があるという。まさにこの日記が発信である。

ハズレくじは引きたくないと思う。しかしそもそも期待値なんていうものがあるから、期待値未満のハズレが生まれてしまうのだ。私たちは物事につい期待を抱いてしまうけれど、はじめから「正解」だと分かっているもの以外に、期待するのは危険だ。

市場競争を経ていない、または競争相手が少ない商品はハズレの可能性が高い。でも有名でないものは美味しくない、というのは違う。

包装の質は味に影響しないが、パッケージに心を預けないというのもまた違う。可愛いパッケージにはときめいていたい。そしてみんなに大して評価されないものが、ピンポイントで私のツボをついてくることだってある。

ハズレくじは引きたくない。でも未知への期待を止められない。長距離ドライブの先には、土地に根付いた日常──私にとっての非日常があってほしい。道の駅を訪れるとき、いつだって私の胸は希望と期待に膨らんでいる、だから美味しくないおやつが悲しかった。ただそういう話だった。

身に覚えのない督促電話

知らない電話番号から着信があり、要件を聞くとカードやローンの督促電話だった、ということが複数回あった。

別人あての督促で、誤登録か解約済みの電話番号が私に割り当てられたのか、要件が要件だけに受けるたび心臓がヒャッとなる。

詐欺かと思ったけれど、電話番号を調べたところ、どうやら本物の督促らしい。

「別人あてなのでもう電話してこないでください」というのをカード会社や信販会社に伝えれば問題はないものの、かかってくる電話の相手は自動音声で、対応パターンが「本人ですか? 違うようなので切りますね」しかなく、こちらの事情は一切考慮してくれない。

人力で督促電話をすると働き手の消耗が激しそうだし会社の対応としては合理的とは思う一方、でもまあ、こちらとしては不便極まりないわけです。

対応してくれそうな窓口を探して電話をかけ(チャットbotはヘルプページしか案内してくれない)、音声ガイダンスの本人確認で弾かれ、めげずにそれっぽい窓口に電話をかけ続けたら、4件目の番号でようやくオペレーターさんに繋がった。

「もう疲れ切って色々どうでもいいです」と言わんばかりの無機質でローテンションな対応をされ、お客様サポート窓口って、働く人にとっては鬼門よなあ、と思う。

その後すぐに登録を変更(?)してもらえて一件落着となったのだけれど、ナビダイヤルに数百円費やしてしまったのは、誠に痛恨の極み。

かたや、メールでのお問い合わせ窓口が設置されている会社の場合は、メールを打つ5分間ですべてが解決したので、もう全社メール対応を標準にしてくれよ、と思う。

しかしメールにしたらしたで、解読困難な問い合わせへの対応コストなんかが爆上がりしてしまうのかもしれないなあ。

本当は着拒にして無視、が一番楽な解決方法だったに違いない。無視する罪悪感に耐えきれずに連絡を入れたものの、実のところ、今回のことで私が心を痛める理由は特になかった。

それにしても、全然知らない人の財政事情(や、計画性)が心配になる量の督促だった。ちゃんと生きてくれよな。

逃げないで、二月

変化量の閾値というものは案外大きくて、降り積もる毎日をサラサラと見逃してしまいがち。

積み重ねることでしか辿り着けない場所というのが絶対にあって、サラサラしている場合ではないと思うのだけれど、気付けば2月も半ばを迎えてしまい気ばかり焦っています。

逃げないで、というのは時間のかたまりへの呼びかけではなく、刻一刻流れる今への懇願に似ている。今日もちゃんと生きよう。