カメラを担いで出てきたはいいけれど、お盆中に史跡など巡り、変なものが写っても嫌だなあとレンズキャップを外すことはついぞ無い日々を過ごしていた。腰骨にカメラ本体を打ち付けては痛い思いだけをする。
ウークイの日、親戚回りをするはずが直前で逃亡してしまった。逃亡後も代わりにやりたいことはなく、空港のロビーで大人しく仕事をしている。つまらない大人である。
「三つ子の魂百まで」という。そういえば私はよく逃げる。いちばん古い思い出は、幼稚園生のときに園を脱走して自宅に逃げ帰ったこと、もう少し成長して小学生の頃、嫌いな先生がいたので音楽の授業をさぼったこと。
成人してからは、嫌な飲み会からそそくさと抜け出すこと多々。お代はきちんと払ったし、接待要員に徹したときの私は優秀だったので、社会人として恥ずかしいことはしていないと思う(思いたい)。
一方で物理的に逃げられない環境ではストレスで体調を崩すことがあり、あれは社会人として難のある状態だった。先日、知人から「土日にも仕事を入れたら、小学生の子どもがストレスで体調を崩すようになった」という話を聞き、そういえばここ五年くらい、私自身はメンタルに起因する不調が起きていないことに気付く。
環境をがらっと変えることができたのは、長い人生におけるとても良いターニングポイントになったと信じたい。
「逃亡」を仕事に置き換えると、いつばっくれるか分からない、怖くて使えない外注先のようなふるまいだけれど、親戚回りに限っていえば、まだ自分の家族を持たない両親のオマケとしての参加で、私が抜けても大勢に影響はなかったため許してほしいと思う。
逃げた先には今のところ、安心できる自宅がある。
逃げられるうちは逃げればいいと思うが、そうなると胆力や打たれ強さみたいなものが育たない気もしている。我慢して得られるものは確実にあると思う一方で、それは私が手に入れたいものだろうかとも思う。人からの信頼や気まずい空気の和ませ方、お尻がかゆくなるほど逃げたい種類の仕事への耐性などなど、格好よく言えばGLITの四文字でくくられるものたち。
「環境を変える」とは、ある環境からの移動、捉え方によっては逃げである。全てに踏ん張りたいとは思わないが、踏ん張った先に何があるかは踏ん張れた人にしか分からないので、取捨選択の予断は難しいのであった。