カレーパンを落とした

ムシャクシャしていた。こんな日にはアメリカンドッグを食べるものだと、相場が決まっている。通り道のセブンイレブンに寄り、ホットスナックの棚を確認する。アメリカンドッグ、よし。PayPay顔認証よし。なんてこった、今日は「お店で揚げたカレーパン」まである。

こんなとき、カロリーは救いだ。落ち込んだ心にすっと明かりが差し込んだ気がした。アメリカンドッグと、カレーパンを買う。「温めますか」と聞かれたのでしっかりチンしてもらい、意気揚々と店を出た。

川沿いの道、あたりは酔っ払った観光客だらけだ。南国のムッと湿気た夜に、陽気なネオンが光る。こんな夜に、ムシャクシャなどしていたくはないのだ。

歩きながらホットスナックの袋を開けた。アメリカンドッグを掴む反対の手で、ケチャップを取り出す。取り出したケチャップを落としそうになり慌てて握り直すと、足の付け根のあたりでケチャップが爆発した。あの、真ん中でパキッと割って使うタイプのケチャップだ。当たり前にズボンはケチャップだらけになった。つらい、と思った。

ほんの少し残ったケチャップを、アメリカンドッグに絞り出す。申し訳程度の酸味、酸化した油のえぐみ、ネチネチした粉ものの食感、ケチャップにまみれたままのズボンと左手。すべてが、ムシャクシャした心を宥めるのには、全くの役者不足だった。

つらかった。

つらさを分かち合う人もいないので、橋のたもとで黙々とアメリカンドッグをかじる。ちょうど満潮の時間らしく、川面が橋にくっつきそうなほど近かった。川は街の明かりをとろとろ映しながら流れていく。飲み屋の戸が開き、ひときわ賑やかな声が聞こえる。

私以外の人は誰もが楽しそうで、ケチャップにまみれたまま、一体どうしたものかと思った。気を取り直しカレーパンの袋を開いたら、中身が飛んで地面に落ちた。本当に、つらい。

荷造りをする、西日に大汗をかく

荷造りついでに片付けをした。出先で万が一なにかあったとき、他の人に部屋を見られても恥ずかしくないように。いつでも片付けをしている気がする。永遠に手に入らない、美しい部屋と整頓されたデスクトップ。

ひと仕事終え、例によって散歩に出かけた。歩きながら大発見をした。

私の母は、歩くとき腕を左右に振る。なぜ前後ではなく左右に振れるのだろうと思っていたが、どうやら肩が内側に入ってしまうと、左右にしか腕を触れなくなるらしい。

それ、たぶん猫背っぽくなってるせいだから、肩甲骨を寄せるといいよ、と今度伝えたいと思う。

真昼はクーラーの効いた部屋に潜んでいたが、そろそろ夕方だしと出かけてみたら西日がきつい。ときどき思い出したように吹く、ちっとも夕方を感じさせない風。駅まで行って帰って、Tシャツが貼り付くほど汗をかいた。

びっくりするほど夏

8月も終わりが近づいてきて、行く季節が日に日に惜しくなる。天気は灼熱の快晴続き、太陽が夏の在庫を放出しているみたいだ。

今日も例に漏れず、晴天。汗をダラダラかきながら歩く。夏はもう十分間に合っているが、消化試合にはまだ早い。何度でも海に行きたいし、冷やしたきゅうりが美味しいし、遅い時間の夕暮れは1日が伸びたようで嬉しい。あまり叩き売らないでほしい。夏。

写真を撮り動画を編集し、キーボードを叩く。ダラダラしつつ仕事を進めた。秋が来る前に、もう一働きしたい。今日も冷やしたきゅうりが美味しかった。健康的なおやつ。

全然関係ないが、オーディオブック聴き放題の「Audible」の無料期間が終わってしまった。高評価レビューを見て試用を始めたのにいまいち活用しきれず、もったいないと思う。

紙での読書も電子書籍も、ブラウジングも目を酷使する行動なので、もう少し耳を活用できるようにしたい。人生100年。

日記を書ける日常

朝起きて所用のため外出。用事が終わったので帰宅してPC作業、ストレス解消のためウィルキンソンの強炭酸を1L飲んだ。気持ち程度のストレッチをして、寝る。

平坦な1日だった。PCに向かいながら来月の計画を立てたり、印刷予定の冊子について注文をつけたり、内側ばかりが忙しかった。

近ごろの予定を振り返ると、「何にもなかったな」と思う。内面のことは充分間に合っているので、外側にもう少し起伏が欲しいと思う。

明日は何をしよう。すっかり溜めてしまった記事をどかんと書きたい。でも、これもやっぱり内側のことだなあ。

色気より食い気、空腹と文化

「帰りは美術館に寄ろう」と決めていた。朝の時点では、間違いなくそうする予定だった。

でもまぁどうして、お昼前にはお腹が空くのだ。空腹のまま美術館には寄る気がしなくて、混雑きわまる日曜日のランチタイムに繰り出していく力もなく、そのまま帰宅した。

近頃、いわゆる文化人の書いた本をよく読む。暮らした家が、そのまま史跡になっているような人たちの本だ。

彼らが道すじを作った文化について、知れば知るほど、系統立てるということには、余裕(メモリのようなもの)が必要なのだと思う。

膨大な著作や美しいコレクション、国内外を行脚した記録を見るにつけ、巨塔のような財力や体力や知力に、打ちのめされた気持ちになる。

一体どう生きれば、これだけの成果を残す人生を送れるのか。少なくとも、ルーティーンのような仕事や生活に、ただ流される生き方ではなかったんだろう。

生活に直接は役立たない「文化」というもの。少しも空腹を満たしてはくれないもの、それでいてやたら魅力的に映るもの。

文化論を語り続けた人は、余裕があったから、文化などにリソースを注げたのではないか?

わからない。生活に押し流されて、四六時中お腹を空かせていた文化的偉人も、そんな中で、血のにじむような努力を重ねた偉人も、たくさん存在してはいるのだろう。私が無知なだけだ。

その人はきっと、並外れた情熱と能力を持ち、空腹でも美術館に立ち寄れる人に違いない。

何事にも必要なのは、障害を打ち砕く根性か。いや、やっぱり、事前にランチのお店を予約しておく時間と心のゆとりかも。そんなことを考えながら帰った、令和の平凡な日曜日。

週末昼寝とよく分からない夢

何もかも投げ出して昼寝をした。昼の14時から、6時間ぶっ続けに寝た。

クーラーのかかっていない部屋で、怖い夢ばかり見た。目覚めたら気分が幾分かすっきりしており、そうだ、投げ出したくなるほど、何もかもが嫌だったのだと思う。

何の疲れか、目がショボショボしている。使っていたコップが見当たらなかったので、どんぶりで水を飲んだ。もうひと眠りしたら、明日は何も投げ出さずに過ごせるかもしれない。

夢のなかで、真っ青な夏の空を飛んでいく巨大なジャンボジェットと、AIBOみたいな形をした次世代旅客機(ホスピタリティの高さで、旅行客に大人気)を見た。着陸する姿は麒麟かユニコーンのようで、大変エレガントだった。夏の風景は、iPhoneでバキバキに加工したようなハイコントラストだ。

飛行場を横目に、自動運転の車に乗った私は、助手席の人と英語で喋っていた。相手はずっと迷惑そうな顔をしており、そんなに邪険に扱わないでくれよと思う。それから他人のおうちの貰い子になり、優しく温かい布団で寝た。夢のなかでも眠っていた。

布団も他人の家族も優しかったが、居心地はすこぶる悪かった。なんで悪かったんだろう。貰われてきたばかりなのに、早く家を出なくてはと、ずっと思っていた。

脳みその描いた、たぶん何の暗示でもない夢。細切れの場面を点々としながら、全体的にずっと追い立てられる焦燥感と、ヒリヒリするくらいの居心地の悪さがあった。

しかし寝起きはなんだか良い。よく分からないがすっきりした。現実にも焦りや居心地の悪さはあるが、これは一つ一つ解決していく問題だ。

飲みこんだ水が、ボヤッと目覚めた身体に溜まり、胃袋で鳴っている。相変わらず目がショボショボする。クーラーをつけて、もうひと眠りしようと思う。