エア芽吹きを妄想する

今日は受け皿が乾いていたので、各鉢に400mlくらいずつ水をまく。正しい分量かどうかはやはり分からない。水捌けのいい土地で育つ木らしいので、毎日ビタビタに水をやってはいけない、という認識だけ持っている。

でもそのうち肥料をやったり、植え替えたりしなくてはいけない。ネットで調べてもふわっとした情報にしか辿り着けないため、図書館に通った方がいいのだと思う。

ささやかな変化ながら、日に日に芽が育ってきている。来月とか再来月には葉っぱなど芽吹くのだろうか、と思うと今から可愛くて仕方がない。まだここにない葉っぱを楽しみに思う夕方だった。

間違い探しのような日記

育成記録というほど仰々しいものではなく、朝顔の観察日記ほど可愛らしいものでもなく、ひとまず、ただつける日記。

つける必要性や意義は正直なところよく分からない、しかし日々のタスクがあると「なにかを成し遂げる過程にある」みたいな安心感があってよい。精神衛生に特に効く。

いつか今を振り返って、大きくなったなぁお前、みたいな感慨を味わいたい。今日も今日とて、じつと芽を見る。

傷ついていた箇所が固まっており、小さくても漆の木なのだなあと思う。

引きで見ると間違いのない間違い探し状態な、鉢植えたち。今日は、受け皿がビチョビチョになっていたので水やりはお休み。

可視化という動機づけ

人間、変化に弱い。ポジティブな変化を見える化することは、鼻の先にニンジンを吊るすのに似ていると思う。ほんの5ミリほどの成長が、こんなに嬉しい。

今日も芽吹きを確認。500mlずつほど水をやる。半日後にはプランターの水受け? に水が滲んでいたので、土は今うるおいMAXの模様。

引きで見ると、昨日から何が変わったかさっぱり不明なので、小さな変化を見つけたい時はしっかり寄るといいのだと思う。

雨降れど地は濡れず

午前中、「雨が降っているので、今日の水やりは自然任せ」などと考えていたところ、風向きの都合により鉢植えには全く天の恵みが届いていなかった。

慌てて水やりを敢行したのだけど、考えずにお任せできる、ということの強烈な魅力たるや。安心感ともいう。

各鉢に一リットルほどの水を撒き、果たしてこれが正解かどうかは分からないものの、ひとまず枝の先の芽がほころびそうな気配を見せているので、苗たちは今のところ命をつないでいるのだと思う。明日も元気に生きてほしい。

判断しなくていいのはとても楽

鉢植えに対して水を何ミリリットル撒けばよい、という明確な指標がないため、水やりひとつに怯えてしまう。枯らしてしまうのでは、腐らせてしまうのでは、手探りとは心地悪いものです。

手探りの結果が見えてきたら、また違う感覚で過ごせるようになるとは思うものの、苗木の死が怖くて、鉢植えはまだビニールの仮ポットを使っている弱腰ぶりよ。

今朝は雨が降ったので、水やりは天に任せられてホッとしました。判断しなくていいのはとても楽。お天気ひとつに真理を見出すことのできる、植物を育てるとは哲学であったか。

近ごろはカリカリにした食パンに薄切りのバターを盛って朝食にするのが好きです。しかしバターを切るのも、その都度包丁を洗うのも面倒なので、何かいい手抜き方法がないか考えています。どう頑張っても失敗しようがないものは、手探りの試行錯誤も楽しい。

楽な試行錯誤ばかりでは新しいことは生まれないものですが、薄く切ったバターは美味しいです。

ふゆさむ

一月が去ろうとしているのに、大した何もできず過ごしている気がします。ただ流れ流れていく時間に抗いたく、鉢植えを買いました。

水やりの感覚も土の盛り方も分からないまま、とにかく苗を迎えたので、世話の仕方を学びつつ観察しつつ、無事に育てていきたい。

続けることが壊滅的に苦手なので、命があるものを扱うのは少し怖い。朝起きて草履をつっかけ(足が寒い)、芽が死んでいないかパトロールする暮らし。

紙くい虫

プラカップに詰められた牛丼を食べた。冷えて固まった米の上にはお肉が載っており、縮れた肉は「生であれば向こうが透けて見えたのでは」と思うほど薄い。

薄く縮れたお肉と玉ねぎと、茶色くタレが染み込んだご飯を積みかさね口に運ぶ。冷たい牛丼はさまざまな技術の粋を集め、さまざまな要素との折衝をおこない、ひとつの最適解として導き出された味をしていた。ファストフードとしての牛丼は、とても美しい資本主義の結晶であると思う。それでいて、食事としてはひどく原始的だ。詰まるところ、人間は生きるために食事をするし食事のために生きている、そういった必要最低限を感じさせる味がする。

あんまりにもお肉が薄いので、もしやこの厚みは紙といい勝負なのではと思う。肉を仕入れ、輸送し、薄く薄く加工して適切な品質管理のもと全国の消費者へ適切な価格で提供する、そして社員を養い株主に利益を還元し牛丼屋は今日も経済を回しているのであった。経済の末端には、紙のようなお肉を頬張り、お腹を満たす私がいる。

牛丼(並)は名前のわりにずっしり重かった。満腹になった。テレビのCMでは、Amazonの段ボール箱が陽気に幸せを歌っており、こちらもまた、美しく完成された形だと思う。

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

2023年をを迎える瞬間を、コインランドリーで過ごしました。何もせずドラムが回る音を聞いていたところ気付けば日付が変わっており、「新年」などと区切ってはみても、結局すべては今の地続きのところにあるのだよなと雑なポエムを詠むなど。

それからTwitterで知り合った方がアカウントを消していることに気付き、またどこかでお会いできるといいなあと思いながら、乾燥機にかけたブランケットやタオルをたたんだのが、今年最初の働きでした。フカフカの布地は気持ちがいい。

何事もフカフカは気持ちがよく、手入れをすれば気持ちよさを返してくれる、それはタオルに限らないことです。体も然り、きちんと大切にして引き続き健康第一で過ごしたい。いい年にしましょう。