訪れた先で「あ、ここ来たことあるな」とふと気付くことがある。いつだったかその場所を訪れたとき、隣に誰かがいた気がするのだが、誰かのシルエットはぼんやりとしてよく思い出せない。考えて考えて、前後の予定を手繰り寄せたところで、ようやく誰かが誰だったかを思い出せることがある。
さっぱり思い出せないこともある。忘れ去られた誰かを思うとき、自分の薄情さにゲンナリする。
どこでいつ、何を、誰と。人物よりも一瞬の景色の方が強く記憶に残っている。誰かといても、自分のことだけで頭をいっぱいにしていたのか? いや、思い出せた分の思い出はちゃんと楽しかったので、違うか。
二週間ほど遠出をするにあたり、家族に60リットルくらいのキャリーバッグを借りた。今まで機内持ち込み用のカバンだけで移動していたため、40リットルからの大拡張である。2リットルのペットボトルが10本も増やせる容量。
スカスカだなあと思いながら、ゆとりあるカバンを引き摺って飛行場に向かった。スカスカだが、増やした容量の分、重量も増えていた。重かった。
旅先のホテルで荷解きをし、詰め込んでいた上着を身につけお土産を取り出したら、いよいよカバンの半分近くが空になった。こんなに身軽に旅をしたことが、かつてあっただろうかと思う。
実のところ、荷物の総量にはそこまで変化はないはずなのだ。だってすし詰めにしていた荷物を、大きなカバンに入れ替えただけなのだから。
ただただモノを減らしてミニマルにすることが身軽さだと思っていたけれど、ゆとりあるカバンに適量を適当に収納するのも身軽さの一種なのではないか、そんなことを思った。だってこんなに気持ちが軽い。でっかいカバンはいいなぁと、のびのび詰められた洋服などを見ながら。