美しきあれこれ

美しさを知ることは、美しくないものを切り捨てる判断基準を得ることだ。そんな判断基準を身につけてしまうと、これまで見ていた世界の「美しくないもの」が目につくようになってしまう。

美しさを知ってしまったときの、私の態度は高慢ちきだ。無自覚に、美しくないものは無価値だと断じては、ふと我に返ってドン引きする。

ポジティブな情緒について、閾値はあまり高くない方が日々の幸せは多い。それでいて、ゲインを上げに上げた先でようやっと見つかる、ささやかな心の動き、ささやかな風景の移ろいが持つパンチ力も無下にはできないのだ。

磨こうチューニング力、そして人間性。美しさを知るのことの両輪として。

汗をダラダラかきながらそんなことを思ったのは、嘉数仁然さんの宗元寺〜壺屋歩きツアーの前後のことなのだけれど、ブログに書くには出力が足りないようです。

しゃべくりを聴きながら四分の一日歩き通して、楽しく過ごすために人様の知恵をお借りできるのはとてもありがたいなあと思いました。