恒常的な日常

昨日に引き続き、受け皿はまだ水でチャプチャプしている。お天気は晴れ時々くもり、気温17度、湿度は60%くらい、微風。

水はけがいいところで育つ木らしいので、受け皿に水があるうちは水やりをしなくていいことにしている。水を撒くときは、毎回「何ミリリットル撒けばいいか」でドキドキするほど悩んでしまうが、撒かなくていいとなると、今度は「いつ水撒きを再開するか」でまたドキドキしてしまう。

そもそも受け皿が水浸しになっていてもいいのか、それは水はけが悪い状態なのでは? じゃあ毎回、受け皿をひっくり返して排水すべきか?

鉢植えの世話。ノー知識から急に本番に移行したために、こんなに毎日戸惑っている。日ごろからもう少し、植物に慣れ親しんでおいた方が良かったのかもしれない。きっとそうだ。

芽吹きは少し黒ずんできた。変わったことは特に何もないけど、特に何もなかった記録。

枝はないのに剪定について詳しくなる

⁡昨日に引き続き、鉢の受け皿が水浸し。いちどに撒く水は、コップ一杯分くらいで良いのかもしれないと思う。図書館に向かったものの、思うような情報はいまだ見つからず、庭木のお手入れについてだけ、若干詳しくなった。未来に活かせるよう期待したい。

直近の問題はプランターで起きる栄養不足と根腐れなんだけども、う〜む、最終的には人に聞くしかないのかもしれない。


2枚目、すくすく伸びていく芽。カワイイ。

ネガティブな心構え

やっぱり昨日は水をあげすぎていたようで、受け皿が水浸しのままになっている。しばらく水やりはお休みかもしれない。

芽吹きは順調と思われる。今日もうっすらピンクに伸びていく、芽。

これまで動物を飼ったことがなく、プランターのハーブは枯らすし獲ってきたオタマジャクシは全滅させてしまうし(いや、小鳥は飼ったことがあった、動物を飼ったこと、あった……)、何かの世話をするのが壊滅的に下手くそな自覚がある。

振り返れば、問題は上手下手ではなく、正しい知識があるかどうか、それからきちんとやるべきことを継続できるかどうかだったように感じる。漆を枯らしてしまったら、自分の不甲斐なさにきっと落ち込むと思うので、今回はやるべきこと・できることを一つ一つ実行していきたい。

行動の根底に、強迫観念にも似たネガティブな心構えがある。気負いすぎると疲れてしまう、疲れたら嫌になってしまう。自己嫌悪におちいる機会はできるだけ減らしたいので、後ろ向きながら疲れない程度にこの苗木たちを育てていきたいのだけど、失敗するってこんなに怖いことだったっけ。何を失敗とみなすか、によるのかもしれない。

枯れずに大きく、健康に育ってほしい。

芽がでてふくらむ

雨ですが鉢植えはひさしの下にあり、天からの恩恵を受けられず。土表面がカスカスしていたため、800mlくらい水をやる。受け皿にタパーッと水が落ちた。やり過ぎたかもしれない。

芽がふくふくしてきたので楽しみ。最初はピンク色なんだな。

狂気アカウント

二月になり心が浮ついている。今年がひと月過ぎた。迎えるたび気持ちを新しくしてくれる、「年」とか「月」という単位は大変ありがたいなと思う。今月もちゃんと生きたい。

今日の鉢はまだ受け皿が濡れており、土の表面も湿っていたので水やりはお休み。来月は芽吹きが見られると嬉しいです。無事に育っておくれよ。

SNSに同じような鉢植え写真ばかり投稿しており、我ながら気持ち悪さのあるアカウントだと思う。続けたら狂気じみたしつこいタイムラインができていくと思うので、これもこれでネタにはなると思う。

エア芽吹きを妄想する

今日は受け皿が乾いていたので、各鉢に400mlくらいずつ水をまく。正しい分量かどうかはやはり分からない。水捌けのいい土地で育つ木らしいので、毎日ビタビタに水をやってはいけない、という認識だけ持っている。

でもそのうち肥料をやったり、植え替えたりしなくてはいけない。ネットで調べてもふわっとした情報にしか辿り着けないため、図書館に通った方がいいのだと思う。

ささやかな変化ながら、日に日に芽が育ってきている。来月とか再来月には葉っぱなど芽吹くのだろうか、と思うと今から可愛くて仕方がない。まだここにない葉っぱを楽しみに思う夕方だった。

間違い探しのような日記

育成記録というほど仰々しいものではなく、朝顔の観察日記ほど可愛らしいものでもなく、ひとまず、ただつける日記。

つける必要性や意義は正直なところよく分からない、しかし日々のタスクがあると「なにかを成し遂げる過程にある」みたいな安心感があってよい。精神衛生に特に効く。

いつか今を振り返って、大きくなったなぁお前、みたいな感慨を味わいたい。今日も今日とて、じつと芽を見る。

傷ついていた箇所が固まっており、小さくても漆の木なのだなあと思う。

引きで見ると間違いのない間違い探し状態な、鉢植えたち。今日は、受け皿がビチョビチョになっていたので水やりはお休み。

可視化という動機づけ

人間、変化に弱い。ポジティブな変化を見える化することは、鼻の先にニンジンを吊るすのに似ていると思う。ほんの5ミリほどの成長が、こんなに嬉しい。

今日も芽吹きを確認。500mlずつほど水をやる。半日後にはプランターの水受け? に水が滲んでいたので、土は今うるおいMAXの模様。

引きで見ると、昨日から何が変わったかさっぱり不明なので、小さな変化を見つけたい時はしっかり寄るといいのだと思う。

雨降れど地は濡れず

午前中、「雨が降っているので、今日の水やりは自然任せ」などと考えていたところ、風向きの都合により鉢植えには全く天の恵みが届いていなかった。

慌てて水やりを敢行したのだけど、考えずにお任せできる、ということの強烈な魅力たるや。安心感ともいう。

各鉢に一リットルほどの水を撒き、果たしてこれが正解かどうかは分からないものの、ひとまず枝の先の芽がほころびそうな気配を見せているので、苗たちは今のところ命をつないでいるのだと思う。明日も元気に生きてほしい。

判断しなくていいのはとても楽

鉢植えに対して水を何ミリリットル撒けばよい、という明確な指標がないため、水やりひとつに怯えてしまう。枯らしてしまうのでは、腐らせてしまうのでは、手探りとは心地悪いものです。

手探りの結果が見えてきたら、また違う感覚で過ごせるようになるとは思うものの、苗木の死が怖くて、鉢植えはまだビニールの仮ポットを使っている弱腰ぶりよ。

今朝は雨が降ったので、水やりは天に任せられてホッとしました。判断しなくていいのはとても楽。お天気ひとつに真理を見出すことのできる、植物を育てるとは哲学であったか。

近ごろはカリカリにした食パンに薄切りのバターを盛って朝食にするのが好きです。しかしバターを切るのも、その都度包丁を洗うのも面倒なので、何かいい手抜き方法がないか考えています。どう頑張っても失敗しようがないものは、手探りの試行錯誤も楽しい。

楽な試行錯誤ばかりでは新しいことは生まれないものですが、薄く切ったバターは美味しいです。