レタスを刻む、月夜のカーテンを閉める

暖かい日に寄り道をして帰ったせいか、選び方がまずかったせいか、買ってきたレタスの中身がえらく痛んでいた。

外側から葉っぱを1枚1枚はがしていき、食べられるところだけを選んで刻む。

いつだったか、友人が「見えている世界が全てではないこと」というようなコピーを書いていた。彼女にとっては、とても実感のこもった言葉であるように見えた。私はあまり理解ができなかったので、なるほど、別の世界がいくつもあるのかと言葉を丸呑みにした。それはまだ消化できずに、胃袋のなかにある。

だいぶ時間が経ったけれども、私には相変わらず目の前しか見えていない。今は、レタスが世界の全てだった。萎びくたびれて、まな板の上で切り分けられていくレタス。外側の葉っぱをめくったら中身は大惨事だなんて、まあ。

「一枚めくってみたら」も、めくってみる前には全てではない世界に含まれていたのかしらと思う。やっぱりよく分からない。捉え方の数だけ世界があるのは事実だ。新しい世界が見たいと切望しているわけではく、久しぶりに友人と会う約束をしたので、彼女の世界について考えてみただけなんだと思う。

生きのこったレタスを、トマトと卵とで酸味の効いたスープに仕上げていただく。

部屋の窓から見える家々の、屋根にくっつきそうなほど低いところに半月が浮かんでいた。夜ごと空気が透明になり、冬が来るなあと思う。