酒が飲める、閾値は下げていきたいと思う

「酒が飲める」歌がある。すごく幸せそうな歌だよねと車を運転する人が言っており、助手席の私はまったくその通りだと思った。

これだけハッピーな気持ちで毎日を過ごせたら、幸せに違いない。でもハッピーさの源がお酒じゃなかったらもっといいのにね、という話をした。

「キーアイテムがお酒じゃなかったら、こんなにヒットする歌にはならなかったのでは?」と言われ、確かにと思う。

お酒は楽しいし、気持ちいいもんな。

理性のタガがぽろっと外れる感じ、いらない表層が剥がれて、繊細に感情が動くようになる、あの感じ。

敏感に気付ける状態を、「閾値が低い」と呼んでいる。少しの刺激で、スイッチをONにできる状態。

お酒がなくとも、変化や揺らぎには敏感になれたらいいと思う。

少しのしょっぱさに塩を理解でき、日差しの揺らぎに秋を気付くことのできる、そういった閾値を持っていられたらいいなと。

とんこつラーメンや九州しょうゆには魔性の味わいがあるけど、澄ませただし汁だって美味しい。陽気な酒の歌を口ずさみながら、合間合間にそういった閾値の話をした。

なんで急に閾値が出てきたのかと思ったら、人がポロポロ死んでいく話を、立て続けに読んでしまったからかもしれない。

命を懸けた情熱も良いものだけど、日々は平坦に続いていくので、できるだけその中に潤いを見つけていきたいものです。閾値は気持ち、下げめに。