紙くい虫

プラカップに詰められた牛丼を食べた。冷えて固まった米の上にはお肉が載っており、縮れた肉は「生であれば向こうが透けて見えたのでは」と思うほど薄い。

薄く縮れたお肉と玉ねぎと、茶色くタレが染み込んだご飯を積みかさね口に運ぶ。冷たい牛丼はさまざまな技術の粋を集め、さまざまな要素との折衝をおこない、ひとつの最適解として導き出された味をしていた。ファストフードとしての牛丼は、とても美しい資本主義の結晶であると思う。それでいて、食事としてはひどく原始的だ。詰まるところ、人間は生きるために食事をするし食事のために生きている、そういった必要最低限を感じさせる味がする。

あんまりにもお肉が薄いので、もしやこの厚みは紙といい勝負なのではと思う。肉を仕入れ、輸送し、薄く薄く加工して適切な品質管理のもと全国の消費者へ適切な価格で提供する、そして社員を養い株主に利益を還元し牛丼屋は今日も経済を回しているのであった。経済の末端には、紙のようなお肉を頬張り、お腹を満たす私がいる。

牛丼(並)は名前のわりにずっしり重かった。満腹になった。テレビのCMでは、Amazonの段ボール箱が陽気に幸せを歌っており、こちらもまた、美しく完成された形だと思う。