ものを捨てない

ものを捨てるタイミングについて考える。機能が失われたとき、外観が損なわれたとき、品質が悪くなったとき、理想状態から何かが欠けたときに、ものは捨てられるのだと思う。

欠けた部位を補填する方法があれば、理屈としてはものを捨てる必要はないはずだけれど、私たちは新しいものを手に入れるため古いものを手放す(または、目に入れないようにする)。

別に持ち続けることが正義だとは思わない。が、持ち続けることで気分が上がるなら、それは素晴らしいエコシステムに違いない。変化に敏感な私たちが、「継続」に対して興奮を覚えるのはいったいどんな場面だろう。

それはそうと、博多のお土産に明太子をもらい人生が豊かになった。必ず死んでいくから産まれるために卵が存在するわけで、それをひとパック何千円かで買えてしまう、なんて罪深い現代かと思う。

新しく手に入れたものを地肉にしたり手放したり、生き物なので全てを保持し続けることはできない。そして強烈な旨みをもつ明太子を噛み締めながら、プチプチと日記など書く。