長く使える物と暮らしたいと、ずっと思っている。
長持ちするものは必ずしも高級品じゃなく、小学校で家庭科の授業のために買った布用の裁ちばさみがまだ現役だったりするし、父が作った実家の棚は、ネジ穴を増やしつつもう25年くらい使われている。
長く使えるものって、極論をいえば「取り替えられるもの」なんだと思う。メンテナンスできる人が存在するもの。切れ味が落ちたら刃を研いで、棚板の高さが合わなくなったら位置を変えてあげる。
パーツを用意してアンティークの時計を修理するような、カメラや楽器のメンテナンスみたいな。不具合が起きても、全体のうち一部を替えてあげれば使えるようになりますよ、という。
ラーメンの秘伝のスープみたいだと思う。これがあるから替え玉をしても美味しい、もちろんスープだけでは成り立たなくて、替え玉と合わせることでラーメンになるんだけど。
取り替えの効かない単体なら、買う→使い終わるの前後に、納得感があるといいなと思う。
ページがいっぱいになれば新しいKOKUYOのノートを買うし、春がきたら新しいユニクロの服を買う。そういった前後に、何かしら、一方的な自然からの搾取ではありませんよという証明があるとすごく救われる。トレーサビリティというやつか。
メンテナンスできるもの、替えがきくもの、もっといえば誕生から終わりまで、ちゃんと面倒を見てあげられるもの。要するにたぶんMieleなんだけど、20年分のお買い物はちょっと重いな。
使い捨ての一方的な感じ、利便性と引き換えに、捨てて良いモノの価値をすごく低く見積もった感じがあまり好きではない。利便性の価値が私にとってはあまり高くないというだけなので、どこかで引き算ができないかと考える。
利便性を我慢できる範囲で削り、本来使い捨てられるはずだった物の使用回数をちょっとだけ増やす。う〜ん、なら初めからちゃんと使えるものを選べば良くないか? 一人で考えてもしっくり来る答えが見つからなかったので、職人さんに相談に行く。
職人さんはモノの価値を高めるポジションにいるので、相談した結果としてはより迷子になった。前述のとおり高価なものが全てではないし、Mieleでは重すぎるし、ちょうどいい塩梅って難しいんだなと思った。
大事にできるものを探す、そして君と暮らしていきたいと思う。ロマンチックだけど難しいことだ。